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「お前は馬鹿だよ。人生を棒に振ることなど無いのに。お前なら軍で地位を築くことも出来るのだから、俺と共に来るより、このままこの道を進むべきだ」 車椅子に座っている少年はその口元に苦笑を浮かべそう言った。 今だその体には幾つもの包帯が巻かれ、体は痛むはずなのに、その声はそれを感じさせなかった。 年齢に不相応なほど落ち着き、そして威厳のある声。 私はまだ幼いその少年の前に跪き、未だ傷の残るその小さな手を取った。 この後、数度の治療を施し、いくらかは消えるはずではあるが、すべての傷が完全に消えることはないという。刃物で執拗に切り刻まれたその小さな体。 深い傷は未だに膿んでおり、ほとんどの時間をベッドの上で意識なく眠って過ごしているというのに、今日私が来ることを知り、こうして無理を押して出迎えてくれるのだ。 痛ましいその姿に目頭が熱くなるのを感じながら、私はもう一度願いを口にした。 「私の望みは貴方様にお仕えすること。人生を棒に振るなどあり得ません。お願い致します、共にお連れください」 私は深く頭を下げる。 その少年の横に立つ幼き少女は、少年のもう片方の手を取った。 「お願いしますお兄様。どうか」 「陛下、再びお側に使えることをお許し下さい」 二人の言葉に、少年は困ったように笑った。 「陛下は止めろジェレミア。全く諦めの悪い男だなお前は。わかったよ、一緒に来い。ただし、お前も嫌な思いをすることになるぞ?」 なにせ開戦間際の国に、こんな障害を抱えたものと共に行くのだから。 ようやくもらえた答えに心が歓喜で満たされた。 あの時はこの方の願いだと、その最後の命令を全力で遂行した。 ゼロレクイエム。 我が生涯の主を悪とし、その命を奪う最悪の作戦。 そのお命が尽きた後、その遺体を腕に抱き、私は自らが所有する土地へ戻った。我が王の墓を守り、王より授けられたオレンジという名を誇りとし、貴方様に献上するに値するオレンジを生み出すことを生涯の目標とした。 だが、奇跡が起きた。 その身をお守りすることは出来なかったが、こうして再び主の下へと戻ることが出来たのだ。 そして、共にあることを今、許されたのだ。 この声が、この身が、歓喜で震えるのを止めることなど出来なかった。 涙を、止めることなど出来なかった。 「おお、有難う御座いますルルーシュ様。貴方様にお仕えできるならば、たとえ地獄の底でも構いません」 それが私の唯一つの願いなのだから。 「なんだ、泣いているのか?馬鹿な男だよお前は。こんな俺に仕えたいなど酔狂にも程がある。ああ、ただしこれには条件がある。それが守れないなら連れてはいけない」 「条件、ですか?」 「ナナリーを守ることだ。俺よりも、ナナリーを第一に守ること。それが条件だ」 その条件に、私は息を呑んだ。 ああ、この人はどんな状況になっても妹姫を優先させるのか。 今は妹姫よりも弱者となったその身でも、妹姫を守ろうとする。 その事に納得出来ないと、少女は首を大きく振った。 「お兄さま、私は大丈夫です。そのような条件必要ありません」 「いや、これだけは引けない。聞いてくれるな、ジェレミア」 少年は、凛とした声音でそう命じた。 だが、これでこそ、この御方なのだ。 いや、こうでなければ、我が主ではない。 そして、私が必ず了承することを知った上でそう命じている。 その信頼に私は答えねばならない。 ならば、私はお二人を全力でお守りするだけ。 「畏まりました。必ずナナリー様をお守りいたします」 「お前ならそう言ってくれると思ったよ。有難うジェレミア」 その口元に笑みを乗せ、少年はそう口にした。 目の前にある扉は、あの頃と同じ物だった。 当然だと今は解っている。 此処が過去なのだと、既に結論は出した。 だから、動くことにしたのだ。 二度と後悔をしないために 数度のノックの後、中から声が聞こえてきた。 この部屋は、この胸の内にある一番古いトラウマ。 父を殺した場所。 手が震える。 足が震える。 だが、それ以上のトラウマを、10年前のあの日この心に刻みつけていた。 だから、こんな傷に今更負ける訳にはいかない。 入室を許可するその声に、意を決し扉を開いた。 室内に居たのはただ一人、枢木ゲンブ首相。 この国のトップ。 その男が、重厚な机に向かい、何やら書類に目を通していた。 「どうした。くだらない用事なら時間の無駄だ」 此方に視線を向けること無くそう口にした。 こういう人だったなと、思わず口元に苦笑が浮かぶ。 子供のことなど跡継ぎ程度にしか考えていない。 愛情など感じたことはなかった。 その地位を守るため、枢木の名を守るため。 まだ10歳にもならないナナリーを後妻に迎えようとするような男だ。 軽蔑はしても尊敬などしてはいない。 だが、今はこの家のトップであることに変わりはない。 だから、この男を動かさなければならないのだ。 「父さん、ブリタニアの皇族をこの家で預かるという話を聞きました」 感情を込めずに告げたその言葉に、ようやく父は顔を上げた。 訝しむような視線を此方に向ける父の目を見ながら話し続けた。 「その皇族はどの部屋を使うのですか?」 「どこでその話を?」 「藤堂先生からです。桐原公がそのために一度此方に来ると伺いました」 「ああ、そうだったな。来週皇族が二人此方に来る。一人はお前と同い年で、もう一人はその妹になる。だが、ブリキに部屋を与える必要はない、土蔵を使わせるつもりだ」 知っていた事だが、やはりそうなのかと心の中で嘆息した。 「父さんはブリタニアと戦争をするつもりなんですか?皇族を土蔵になどブリタニアを挑発する行為です。そんなことが万が一マスコミにでも知られれば、非常識な首相だと、その地位を剥奪されかねません」 ゲンブは訝しげな視線をスザクに向け、口を噤んだ。 当然か。 当時のスザクはこんなに冷静に話をすることも、このようなことを考え口にすることも出来はしなかった。ただ感情に任せ、叫び、怒鳴り、駄々をこねる我儘で身勝手な子供だった。 息子に似た別人と思っているような視線を感じながら、スザクは言葉を続けた。 「この家には空いている部屋が幾つかありますので、そちらに用意させましょう。もし使わせる部屋がないというのであれば、私の部屋を一緒に使うよう用意しますが?」 どうしますか? そう尋ねると、ゲンブはしばらく口を閉ざし、此方を伺いながらしばらく思案していた。 表情を変えること無く見つめていると、ふむ、とその手を顎に当てた。 「確かにそうだな。どうやら一人は障害を抱えているという話だし、余計な勘ぐりはさせないほうが手か。チッ、仕方ない、部屋を用意させよう」 「障害、ですか。では私の部屋の隣も開いていますし、そちらに用意するよう伝えます」 「お前の部屋の横に?」 「私と同じ年齢なんですよね?ならば仲良くした方がいいと思います。万が一このことを知ったマスコミに見られた時のことを考えれば、表面的にでも付き合っておくべきだと思いますが?その上障害を持つ皇族を私が介助しているとなれば、間違いなく父さんの評価も上がります」 「ふむ、確かにそうだな。ではそうしろ。護衛も来るから2部屋だな。それにしても何かあったのかスザク。いつものお前らしくないな」 怪しまれるのは想定内。何も問題はない。 「ブリキの皇族が来るんですよね?日本が馬鹿にさせるような真似は出来ませんから、今から慣れておこうと思いまして。では失礼します」 ゼロとして10年過ごしたことで、どうしてもこういう口調になってしまう。枢木スザクの口調など、もう忘れてしまった。でも、この程度の言い訳で納得してくれたから助かった。 「これであんな土蔵に住まわせなくて済むな。第一段階終了、さて、次だ」 あの土蔵での彼らとの生活は、スザクにとっては幸せな思い出ではあるが、あの場所が寒く、住みづらい場所だということもよく知っていた。障害を持つナナリーを再びあの場所に置くよりも、自分の傍に置く方がいい。 でも護衛、か。 あのときのSP達かな?あいつらはいらない。ルルーシュが殴られても蹴られても、死ななければいいと見ているだけの連中など必要ない。 どうやって二人から引き離そうか。 ブリタニアに帰ってくれれば一番いいのだが。 彼を守るのは護衛ではない。 彼を守る剣は今ここに居るのだから。 「・・・今度は必ず君を守るから」 それが僕の願い。 来週か。 それは記憶にある日付。 初めて出会ったあの日のものだった。 予定通りだ。 間違いなく、その日に。 また、会える。 だから。 「早く帰って来るんだ。早くここに」 この国に。 この手の届く場所に。 暗く淀んだ瞳を空に向けながら、スザクはそう、呟いた。 |